ディック・コンティーノ・ブルースとDaddy-O
ディック・コンティーノのことを調べている中で、彼をモデルにした小説があることを知った。「ディック・コンティーノ・ブルース」。作者はジェイムズ・エルロイ。アメリカ文学界の狂犬の異名を持つ犯罪小説家であった。
「LAコンフィデンシャル」「ブラック・ダリア」など、いくつかの作品は映画化されている著名な作家なのだったが、そっち方面まったく興味が無かった私はエルロイの作品にも、ひいてはノワール小説というものにも、初めて接した。
(思った以上に血が流れ、内臓が飛び散り、人が死ぬのでドギマギしました・・・。)
ジェイムズ・エルロイとコンティーノの縁・・・といっても、エルロイ側からの一方的な「思い」のようなものだが・・・については、小説に入る前のイントロダクション的な文章「過去から」につづられている。
殺人事件で母を亡くし、犯人はつかまらず、父と2人暮らしとなったエルロイが観た、エド・サリバンショーでアコーディオンを弾く、テレビの中のコンティーノ。
それを見て父が吐き捨てた「こいつは悪党だ、兵役逃れだ」という言葉。
その1年後に観たコンティーノ主演のB級映画「Daddy-O」(1958)
これらは1958年~59年、エルロイが10歳から11歳の間の出来事であり、彼の中ではそれらが彼の育った50年代のLA(犯罪が多く、暗い時代)の雰囲気と結びつき、幾多の記憶を呼び戻すものであったらしい。
そして彼の子供時代の写真(母の死を知らされた5分後に撮られた)をきっかけに、「50年代末の記憶に火がついた」彼は、「Daddy-O」のビデオを取り寄せ、コンティーノに魅入られ、会いたいと思うに至る。
こうなると、その「Daddy-O」ってどんな映画なのだろうということが気になる。
左はその当時のポスター。(クリック拡大)
ウィキペディアにも記事がある。
動画を探してみたら、Youtube上に発見した。
司会者が映画にツッコミを入れながら全編流すタイプの番組みたいで、手前に司会者とキャラクターの人形?の影が映っていたり、途中でコントのようなものが入ったりするが、一応ぜんぶ観られる。
恋と車と音楽とアクション。
典型的なB級映画。
(映画本編は14:00くらいから。それまでは当時のCM等。)
映画は1時間半あるので、とりあえず時間が無い方は劇中歌「ロック・キャンディー・ベイビー」を歌い踊るコンティーノを。
当時の彼は28歳。屈託のない二枚目といった感じ。
これらが、エルロイ少年の暗い記憶とともにあるコンティーノの姿である。
エルロイとコンティーノには、10年ほどのタイムラグはあるものの「兵役逃れ」という共通点があった。コンティーノはそれで収監され、半年ほど服役。出所後に再徴兵されて朝鮮戦争には従軍しているので、それで「兵役逃れ」の烙印を押され、一生「腰抜け」「卑怯者」「臆病者」などと呼ばれ続けるのもおかしいなあ、と個人的には思うが、兵役から逃げ帰った後、犯罪者同然の堕落した生活を送ったエルロイに比べ、コンティーノは音楽の仕事の質は落とさなかった。エルロイ曰く「私の見る限り、仕事を続けていく中で、コンティーノが失ったのは、聴衆の数だけだった。」とのこと。
また、「Daddy-O」は映画としてのレベルは決して高くはなく、コンティーノが満足するような役どころではないとエルロイには思えたのに、画面の中の彼は脚本や共演者を小馬鹿にするそぶりもなく、自然で楽しげで生き生きとしている。
エルロイが、執着といってもいいほどコンティーノを追い求めた理由は、そのあたりにもあったのかもしれない。同じような過去がありながら、その後の人生へのあり方がなぜこんなにも違うのか。
小説のための取材としてエルロイとコンティーノはラスベガスで会うことになる。文中には、コンティーノ63歳とあるので、それは1993年であることがわかる。
下の動画が1992年なので、こんな感じだったのだろう。
エルロイも「相変わらず眉目秀麗で、体は引き締まり、元気そう」「ダディ・オーの微笑みは少しも損なわれていなかった」と書いている。
ここで二人はなごやかに食事をしながら、表現を生業とする者どうしとして「芸談」といってもいいような興味深い会話をするのだが、そこでコンティーノはこんなことを言っている。
「完璧を求めて、独りよがりになるのも、どうかと今は思う。客を楽しませることを忘れてはいけない。大事なのは聴衆が求めているものを差し出すことだ」
彼の演奏スタイルを見ているとナットクの言葉である。
しかし、「くだらない客を喜ばせるために弾きたくもない曲を弾く」ことに疑問を感じていた時代もあったという彼が、どのような経緯で考えを変えたのかという問いには、
「恐怖が人を好きになることを教えてくれた。恐怖は孤独の中で育つ。聴衆との壁を取り払うと世界は広がる」
と答えている。
兵役逃れの汚名のある彼には、観客とは世間であり恐怖そのもの。
けれど、それを人として好きになることで、乗り越えたのかなあー、というように私は受け取った。この「恐怖」というキーワードが2人の共通項であり、そこへのアプローチに違いが2人の人生のあり方の違いのように思われた。
こうした取材で得たコンティーノの実際の人物像と「Daddy-O」の映画のイメージを融合させてできあがったのが小説「ディック・コンティーノ・ブルース」。「Daddy-O」はかなりB級・・・いや、Z級という評価もある映画なので、小説も荒唐無稽にすぎるところもあり、エルロイのファンの中には「ウソくさくて白々しい」「非現実的で軽すぎる」と評価する向きもあるらしい。でも、いきさつを考えると当然なのだろう。実際の映画とコンティーノの人間像を知ってから読めば、また違った角度から楽しめるのではないかと思う。
ちなみに私の読後感は「タランティーノが映画化したらおもしろいかも。」だったのだけど、奇しくも後日、彼の映画「パルプ・フィクション」で、「Daddy-O」のポスターが貼ってあるシーンがある、という情報を得てビックリ。
さっそく目を皿のようにして確認して観たら、トラボルタとユマ・サーマンが行く50年代風のナイトクラブ?の壁に発見!
右から2番目のポスターがそうです。
いやあ、エライところにリンクしたなあ。
しかし、ほんとにちらっと一瞬しか映らないのに実在の映画のポスターを使うなんて、タランティーノって筋金入りのオタク・・・。